「狸」と呼ばれた男 徳川家康

私が一番好きな戦国武将は、徳川家康です。戦乱の世の中、かの有名な織田信長と同盟、豊臣秀吉と対立し臣従した後に日本全国を統一する体制を整え、江戸幕府を築いた人です。

徳川家康、いや、松平元康がなぜ狸と呼ばれたのか。それは幼きとき、竹千代時代にさかのぼること、数十年間、今川に人質として忍従にときを過ごしたのが始まりです。

常人ならばこんな仕打ちに耐え切れなく、あちこちで無法を起こす時代に、元康(家康)は期が熟されるのを待っていました。待っていたかのように時代が少しずつ元康に傾き始めたのが、織田信長の力が示される「桶狭間の戦い」にて、世話になった今川氏と決別し、その信長と同盟を結び改名、徳川家康と改めました。本当にちゃっかりしています。

そしてまさかの「本能寺の変」で友盟を組んでいた織田信長が重臣の一人、明智光秀に討たれ、またもやその忍耐が試される事になり、甲斐・信濃国をめぐって越後の上杉と争い、勢力を拡大。なんの因果なのか、はたまた織田信長の重臣の一人だった豊臣秀吉とももめて、またもや対峙。軍的には勝利したのに政攻略は遅れをとり、秀吉に講和して事なき終えてしまう。なにこの狸、こんな狸親父そうそう存在しません。

結構大きな喧嘩したのに天正18年に関東への領地替えを命じられて、長年の根拠地を失ったものの、豊臣政権下で最大の領地を持つ五大老の筆頭になれてしまう。これをまさか狙っていたのか?
参考サイト ミスがあっても試行錯誤で勝つ徳川家康

秀吉が亡くなった後、巻き返しのごとく豊臣の若い芽を摘む政策に乗り、大阪冬の陣で豊臣氏を滅亡させ、幕府を確立したという。狸っぷりに脱帽します。そして自分の死後を「東照大権現」と信仰させてしまうとこがもう大好きです。